選び出した三つの社会現象を生み出している根底の真実として、「心のエネルギー総和の減少」を仮定した。
この減少を逆転させれば、その表現として現れる社会現象もまた反転すると考えられる。ここでは三つの社会現象のデータを確認し、それらを生み出す質的差異が何であるかを、熱力学との対比の中で考察してみる。
最初に、社会現象の一つであるGDPを取り上げる。それを心のエネルギーという仮説的真実と結び付けて検討する。
GDPの統計には時代の異なるものや集計方法の違いなど多様なデータが存在する。
図3-2は特定の特徴に基づいて整理した一例である。新興国を区別したデータを見ると、新興国のGDPは世界平均を上回る成長を示している。日本を除く先進国および世界平均も成長している。一方、日本のみが約30年間にわたり成長が停滞している。この事実は、日本と世界との間に何らかの相違が存在することを示している。
表3-2にIMF発表データを基に作成した最新の世界GDPランキングを示した。日本は成長停滞の結果、中国やドイツ、インドに追い抜かれ、辛うじて5位を維持している。遠からずイギリスにも追い越され、6位へ後退するだろう。
この背景には何かがある。
それは日本固有の心理的・社会的真実の表れであり、心のエネルギーが減少しているという真実の表現とみなせるのではないか。即ち、何らかの差異が縮小し、エネルギーが生まれにくい状態にあることを意味している。
では、世界と日本の違いは何か。
まず想起される要素として、外国人や移民の存在がある。ヨーロッパやアメリカと比較すると、日本は移民の割合が際立って低く、外国人比率は約3%にとどまる。これに対しドイツ、フランス、イギリスなどの欧州諸国やアメリカは移民の影響を受けた社会であり、それに伴う摩擦や問題がしばしば報道される。
オリンピックで多様な人種的背景を持つ選手がアメリカ代表として出場している光景は、以前から自然にみてきた。外国人比率が10%以上に達する社会では、文化的差異や人種的差異が生むエネルギーが生まれる。
貧富の格差や事業の成功・失敗の差が大きいアメリカでは、成熟国でありながら人口増加が続き、「少子高齢化」が前面に出ることはない。新興国でもGDP成長が顕著であり、同様に少子高齢化の問題は論点とはなっていない。
一般に貧しい国ほど出生率が高い。日本でも古くから「貧乏人の子だくさん」という言葉が存在する。移民要因に限らず、中国のような大国では都市部と農村部の間に大きな所得格差が存在する。この差異が心のエネルギーを生み出すと仮定すれば、中国のGDP成長をうまく説明する。
国内における成功者と非成功者の接触は、羨望や意欲といった心理的エネルギーを生み出し、それがトラブルも含めて社会的活力のエネルギー源となると考えられる。
エネルギー放出が減少した社会の表現(2)
Vol.19-24
2026年03月17日
エネルギー放出が減少した社会の表現(2)
この記事の内容
エネルギー放出が減少した社会の表現(2)
図3-2 世界の名目GDPの推移(1990年を100として指数化)
表3-2 2025年最新の世界GDPランキング(IMFの発表データもとに作成)
かつて2位だった日本は中国、ドイツ、インドに抜かれ5位になった。
図3-3 主要国の相対的GDP成長 (資料:GLOBAL NOTE 出展:IMF )
1995年までは日本は他国をしのいで成長していて、米国に迫る世界2位の位置にいた。
当時 ジャパンアズナンバーワンという評価の言葉があった。
日本はかつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称された時代を経験している。
その時代の位置づけを示す主要国のGDPデータを図3-3に示した。当時、日本は米国に迫る世界第2位の経済規模を有していた。第二次世界大戦の敗戦により荒廃した国家であった日本が、そこまで到達した背景には、戦後の復興を担った人々の強い心的エネルギーが存在していたと考えられる。
戦後、日本にはアメリカの音楽が流入し、食料も輸入され、学校給食にはパンや脱脂粉乳が供された。人口は増加し、1947年から1949年に生まれた団塊世代が人口のピークを形成した。
貧しさと人口増加が並存する状況は、体感的にも理解できる現象であった。この時代、人々の間には豊かさを求める強い欲求が存在していたように思われる。1950年生まれの私にとっては、自転車さえも貴重な財産に映り、隣家の125ccバイクを父が羨望の眼差しで見ていた光景が印象に残っている。憧れが社会に広く存在していた時代であった。運動会で食べるゆで卵やバナナが年に一度のご馳走であり、中学生の頃には大学という特別な教育機関が現実味を帯び始めていた。
教師は大学を卒業した尊敬すべき存在に見えた。63人のクラスのうち高校に進学したのは10人程度で、多くは就職するのが普通だった。大学進学は人生を転機づける憧れになり、向上心や競争心という心的エネルギーを生み出していた。
即ち、社会に明確な差異が存在し、それが意識され、憧れを伴っていた時代とGDP成長期は重なり合っていた。
戦後から1995年頃まで続いた経済成長期と、その後約30年間続く停滞との違いは何か。この問いについては多くの議論が存在する。それを示す端的な資料が図3-4の成長率推移である。
ここでは1995年から2015年までのデータを示しているが、2015年以降も成長が見られないため、日本の成長停滞は30年規模で継続しているといえる。成長率上位にはカタール、ベトナム、中国、インドなどが位置し、日本は唯一マイナス成長となる最下位にあり、その上位にドイツ、ギリシャ、フランス、イタリアが並ぶ。
成熟国より発展途上国の成長率が高い理由を、羨望や憧れといった心的エネルギーの存在に求める仮説を採用するならば、マイナス成長にある日本には成長を阻害する心理的要因があることになる。
図3-4 各国のGDP成長率
日本はGDP成長率がマイナスという唯一の衰退国。日本の経済政策はこの20年間最悪。
成長を阻害する要因を経済指標によって説明しようとする試みがある。指標とは、直接に測定しないが相関している真実を表現する手がかりである。
解析を進めと多様な指標が導かれ、それらが相互に関連していることは当然である。しかし、関連づけられた指標同士が原因と結果の関係として整理されることは少なくない。
第1章で述べたように、真実の表現は形態こそ異なるが同一の価値を指し示しており、互いに関連づけ可能な関係にある。
指標を時系列に並べれば原因と結果になる。GDPの説明においても、指標間の関連づけによって理解が試みられている。
近年、日本の一人当たりGDPが台湾や韓国に追い付かれた理由として、円安が挙げられることがある。円安は一つの指標に過ぎない。原材料を輸入し、関税回避や利益確保のために企業が生産拠点を中国など海外へ移転した結果、日本の相対的地位が低下したと説明される。
しかし、円安や地位低下は異なる指標による真実の表現にすぎず、それらを生み出す根源的真実には踏み込んでいない。
同様に、日本の成長率の低さが追い抜かれた原因とされることがある。さらに成長率の低下は労働人口の減少に帰される。その労働人口減少は高齢化の進展に結び付けられる。
しかし人口高齢化とか労働力の増加率低下というのは、異なる指標によって同一の真実を記述しているに過ぎず、それを引き起こしている根本の真実を説明してない。
日本の成長率が韓国より低い一方で、韓国では出生率が日本より低く労働力が減少している。それにもかかわらず、成長率が高い理由として、技術進歩率の高さや産業構造の高度化が挙げられる。これもまた、技術の進歩率の変化や産業構造の変化という別種の指標を合理的に関連づける説明にとどまる。本質的な真実のエネルギーには言及していない。しかし、成長しない日本を説明するのに海外の変化する指標を用いることは現象の説明に役には立つ。
実際に日本の産業構造はなかなか変化しないことを示すデータがある。
図3-5は日本企業における研究者の専門分野構成を表している。研究者は20年間もほぼ相変わらず同じ専門分野で働いていることが示されている。専門構成が変わらないというのは、企業が利益を出すために目指している産業構造に変化がないということを示唆している。
図3-5 日本企業における研究者の専門分野構成
東洋経済オンラインサイト:日本でイノベーションが生まれなくなった真因より転載
転送元ページへ(東洋経済オンラインサイト)
それでも最近の数年は変化を感じる例がある。それがスマートフォンの普及である。
私自身、従来型携帯電話(いわゆるガラケー)で用が足りると考え、長らく使い続けてきた。しかし、ようやく3年前にスマートフォンへ切り替えた。理由は国際通話料金の高さであった。
切り替え後、利用形態は徐々に変化したものの、ゲームをするわけでもなく通信販売に用いるわけでもないため、その利便性の恩恵を実感してない。支払いも現金主義を貫いている。しかし周囲を見渡すと、後期高齢者と呼ばれる世代においてもスマートフォンの利用が広がっている。
この数年間で、高齢層がデジタル環境へと移行しつつある兆しを感じる。
こうした変化をようやく体感しているという事実は、裏返せば過去30年間、日本の生活環境が大きく変化しなかったことを示唆している。この状況を日本の精神文化の側面から捉えるならば、日本社会には変化を望まない傾向が存在するのではないかと思われる。
差異の少ない生活、均質で平等な生活、緩やかな変化しか受け入れない生活を志向する文化が根付いており、それを維持しようとする慣性的な世代の心のエネルギーが働いているように見える。
同一の制服、類似した生活様式、貧富や格差の小さい社会制度などを観察すると、差異の少なさが支える生活環境となっているとうかがえる。
近年起きている合併とか買収、外人の社長就任などは昔は無かった。外国企業と関わりのない過去の時代は、日本企業の社長や役員の報酬は従業員と3~4倍程度の差しかなかった。これも日本のこれまでの企業風土を表している。差がない社会環境が心の慣性エネルギーとしてあったと思われる。
今は、少しずつ変化し始めてきている。日本にも差が生じる変化が起きそうだ。
次回では2つ目の社会現象の人口の減少について考えてみる。
[ Author : Y. F. ]

