コラムColumn

エネルギー放出が減少した社会の表現(3)

Vol.19-24

2026年04月21日

エネルギー放出が減少した社会の表現(3)

エネルギー放出が減少した社会の表現(3)

日本の社会現象の2つ目として人口減少を取り上げる。人口減少も心のエネルギーという仮説的真実と結び付けられる。この社会問題については多くの人がそれぞれに意見を述べている。まずそれらを参考にしてみる。
結婚というものを切り口にして、結婚しない人が増えたことによって子どもが減っているという意見がある。分かりやすい意見だと思う。多くの人にとって疑う余地のない「常識」だろう。しかし、先進国のなかには、婚姻率が低下しているにもかかわらず、出生率が上昇傾向にある国もある。このような事態を理解するには、結婚をしないで同居するカップル、すなわち事実婚や同棲(cohabitation)の増加に目を向けなければならない。
今も多くの日本人の常識では、「恋愛→結婚→妊娠→出産」こそが“正しい順番”である。もちろん、実態としてこの“正しい順番”は今日では少なからず揺らいでいる。国民生活白書が内閣府から発行されていて、それによると結婚より妊娠が先となる「妊娠先行型結婚」の割合が増えている。それは2000年の段階で、結婚全体のおよそ25%にあたり、特に10代では81.7%、20代前半では58.3%を占め、現在まで上昇し続けている。
とはいえ、日本社会の特徴は、出産の時点ではほぼすべてのカップルが結婚しているという点にある。「子どもは結婚している夫婦から生まれなければならない」という嫡出規範が存在する文化が根強い。
一方、欧米社会の状況を見ると、「結婚している夫婦が子どもを産む」ことが自明のことではなくなりつつある。
先進諸国の婚外出生割合を示した図3-6を見てほしい。2012年時点で、日本が2.2%であるのに対し、スウェーデンやフランスでは過半数を占めており、そのほかの国でも3割から5割を占めているのが分かるだろう。つまり、もはや結婚した夫婦から生まれる子どもが少数派になっている国さえあり、先進国を比較するとこうした国で出生率が高い。フランスの出生率は1.9と高い。
結婚したあとの離婚、またその後の再婚も普通におきているフランスには日本にはない文化があるようだ。

図3-6 婚外出生率の国際比較(2012年)。
出展:Eurostat(欧州統計)の出生に占める婚外子割合データに日本の厚生労働省人口動態調査の2.2%のデータを重ねたもの。

結婚という言葉に関係する言葉として恋愛がある。恋愛と結婚の関係で世間の注目をうける話題は雑誌でよく登場する。フランスの歴代大統領の恋愛〝事件〟で検索すると、いろいろな話題が見つかる。2014年1月10日、フランスの芸能誌「クローザー」は、フランソワ・オランド大統領(当時)が、女優ジュリー・ガイエと恋愛関係にあると報じた。大統領は「プライバシーの侵害」だとして法的措置を検討したものの、報じられた内容を否定することはなかった。またこの一件が、もともと支持率が低かった大統領を失脚させることもなかった。
オランド大統領は結局2016年の任期満了までその職をまっとうした。

マクロン現大統領も負けてはいないようだ。マクロンが15歳のとき、彼が在籍していたリセの現役フランス語教師ブリジットと恋愛関係に陥る。ブリジットは当時40歳、アンドレ・ルイ・オジエールという地方銀行員を夫にもつ既婚者で、子供も3人いた。そのうちのローランスは、マクロンと同級の女の子だった。ブリジットは2006年にアンドレと別れ、2007年マクロンと結婚。このような〝輝かしい〟前歴をもちながら、マクロンは2017年大統領に当選している。恋愛に関係する言葉に不倫がある。

フランスでは、不倫報道で公職の地位を追うことはできない。日本では在職または地位の保全はとても考えられない。もちろん、フランスにも前出の『クローザー』誌をはじめ、いくつかゴシップ誌は存在する。それらの雑誌が有名人や政治家の恋愛事情を報道するのは、日本のマスコミと基本的に変わらない。だが、大きく違うのは、それらの雑誌が当該有名人によって「プライベートの侵害」として訴えられることはしばしばあっても、それらの雑誌が取材した恋愛事情がその公的な職務を奪うことはない、ということである。現行のパートナー以外の人間に恋愛感情を覚えることはありうることを認める文化がある。そうすれば、あとは当事者たちが現在の関係を精算するのか、続行するのか、それだけであり、どこまでいっても当事者同士のプライベートな次元にとどまる。不倫は社会的悪徳ではないのだから、恋愛事情そのものが個人の人格を査定しないというのがフランスの文化らしい。少し、少子化のテーマからずれたが、少子化に関係する結婚については文化の違いが関係ありそうだ。

フランスと日本の結婚に関する考え方の違いがあることは、国際的な文化の差として認識できる。日本はもとは少子化が問題になる国でなかった。どうして今の状況になったのか、探ってみた。堀江貴文氏が日本の結婚について意見を述べていたのを見つけた。フランスの結婚観と比べると、日本の結婚観の由来が理解できる。

堀江貴文氏は「結婚という制度に縛られなくていい」結婚は「田んぼを守るためのシステム」だ、と述べている。
(出展:東洋経済オンライン )
これを引用すると、
「日本での家族制度の起源を、ご存じだろうか? 18世紀のイギリスで起きた農業革命が、日本に波及した江戸時代にさかのぼる。食糧供給のために安全な相続は、田んぼを分割せず、一子相伝の方法でなければならない。それが長男至上主義の因習の下地となり、養子縁組システムの確立を進めることになった。
長男は生まれた土地に縛られ、次男次女たちは豊かな家庭に丁稚奉公へ行き、別の家族の一員となる。
そうやって、日本社会では長年、長子に土地を相続させ、途絶えないように田んぼを守り続けた。
長子を田んぼにひも付けることで、食糧供給は安定した。この安定が、みんなが飢え死にしない、日本社会の運営の基礎となる一夫一婦制を、強固にしていったのだ。
長子が結婚できずにあぶれてしまうと、土地の維持ができなくなり、子孫たち、ひいては社会が困ってしまう。それを防ぐための制度として、別れたり資産分割のしづらい、結婚制度が法整備化される運びとなった。要は、結婚とは「田んぼを守るためのシステム」でしかない。
田んぼ以外に食糧供給の生産分野をたくさん開発した現代人には、まったく無意味なものなのだ。」

堀江氏の意見をAIにまとめてもらうと以下のようになる。
・結婚は必須の制度ではない
・制度よりも個人の自由が重要
・結婚は問題解決ではなく、むしろ問題を増やす場合もある
・特に「妊娠をきっかけにした結婚」は危険

これらの指摘は、結婚という制度が本来持っていた社会的役割が、現代において変質あるいは希薄化していることを示唆している。すなわち、結婚はかつて「生存のための安定装置」として機能していたが、現代ではその必然性が低下し、個人の選択の一つへと変わりつつある。この変化は単なる価値観の変化でない「心のエネルギー」という観点から再解釈できる。

前章で述べたように、異質なものの接触はエネルギーの放出を生む。男女の出会い、経済格差の認識、能力差の自覚などは、いずれも人の内面に欲求や衝動、すなわち心のエネルギーを発生させる要因である。
結婚もまた、本来はこのエネルギーの放出と密接に関係していたと考えられる。異性への強い関心や欲求、家族を持つことへの動機、社会的役割を果たす意志などが結びつき、結婚という行動に至っていた。つまり結婚は、心のエネルギーの発生と放出の結果として自然に成立する現象であった。
しかし現代においては、このエネルギーの総和が低下している。物質的に満たされた社会では、生存のための切迫感や強い欲求が弱まり、他者との「差」から生じる刺激が減少する。その結果、結婚に至るほどのエネルギーが生まれない。堀江氏が述べたように、制度としての結婚が不要に見えるのは、制度の価値が消えたのではなく、それを必要とするだけの心のエネルギーが減少したためとも解釈できる。特に「妊娠をきっかけにした結婚」が問題を生むという指摘は、十分なエネルギーの蓄積や相互作用がないまま制度に入ることの危うさを示している。
このように考えると、日本における少子化や結婚率の低下は、単なる経済問題や制度問題ではなく、「心のエネルギー総和の減少」という根源的な真実の表現の一つと捉えることができる。
結婚という行動は、そのエネルギーの状態を可視化する一つの指標に過ぎない。

この視点をさらに分かりやすくするために、出生率の高いフランスと比較してみる。
フランスでは結婚にこだわらない価値観が広く受け入れられており、事実婚や婚外子も社会的に許容されている。一見すると、日本よりも結婚制度から解放された社会のように見える。しかし、「結婚制度への依存の有無」と「心のエネルギーの大きさ」は必ずしも一致しない点である。
フランスでは制度に縛られない一方で、恋愛、出産、家庭形成に対する意欲そのものは維持されている。不倫もとがめられない。結果として出生率も日本より高い水準を保っている。すなわち、制度に依存せずとも、内面から発生するエネルギーが行動へと結びついている。
これに対して日本ではどうか。結婚制度は依然として社会的な枠組みとして存在しているにもかかわらず、その制度に入るための動機となるエネルギー自体が弱まっている。制度は残っているが、それを動かす原動力が減少している。この違いは前章で述べた「異質なものの接触によるエネルギー放出」という観点から理解できる。
フランス社会では、多様な価値観や文化が混在し、人々が日常的に差異に触れる機会が多い。これにより、内面に刺激が生まれ、欲求や行動へとつながるエネルギーが蓄積される。一方、日本社会では均質性が高く、差異から生じる刺激が相対的に小さいため、エネルギーの発生が抑制されている。
この「心のエネルギー総和の減少」という仮説は、結婚だけでなく、より広い社会現象とも整合する。例えば、GDPが成長しないことは消費や投資に向かう意欲の低下として理解できる。
人口減少は、出産という強い行動に至るエネルギーの不足として捉えられる。また、消費が伸びず金融資産が蓄積される現象は、エネルギーが外部に放出されず昔の活躍の記録が数字として残ってるだけだ。
これらの異なる表現は一見独立していて無関係に見えるが、「心のエネルギーの総和が低下している」という一つの仮説のもとで統一的に理解できる。すなわち、経済、人口、結婚といった多様な現象は、それぞれ異なる形で同じ真実を表現しているに過ぎない。

本章では「結婚率の低下」や「少子化」を個別の問題としてではなく、「エネルギー放出が減少した社会の表現」として位置づけることを提案している。そして、この視点に立つことで、従来の制度改革や経済対策とは異なる、新たな理解とアプローチの可能性が見えてくる。
人口減少はまだ緩やかな問題のように見えていて切迫感がない。10年や30年間の傾向として見えているだけだからだ。この問題をもっとさかのぼって、千年ないし万年の歴史で眺めてみると、どうだろうか。昔は人口が減るなどということは無かった。戦争で死んでもまた増えた。

人口減少のない時代とは、どのような時代であったのだろうか。逆に、過去において人口が減少し、最終的に消滅に至った社会はどのような特徴を持っていたのだろうか。この視点から歴史を捉え直してみる。

学校教育で学ぶ歴史を振り返ると、日本においては現在のような一夫一婦制の結婚制度が明確に定着していたわけではない。これは前述の堀江氏の指摘とも一致する。
生存が最優先であった時代においては、食料生産や外敵侵略との戦い、命や国を防衛するために、人口を維持・増加させることが不可欠であった。その結果として、異なる集団間の婚姻、すなわち他村からの嫁入りや、戦略的・政治的な結婚が広く行われていた。
これらの動きの本質は、異質なもの同士の接触である。異文化、異なる血統、異なる宗教や価値観が接触し、時に対立しながらも混ざり合う過程において、人の移動と遺伝子の交配が自然に進行した。このような多様性の増大は、単なる人口増加にとどまらず、人類の適応力や能力の向上にも寄与したと考えられる。すなわち、知的能力の発達や疾病耐性の向上といった進化的側面も、この接触の結果として説明できる。
さらに近代に入ると、蒸気機関の発明は陸上・海上の移動を飛躍的に拡大させ、続く航空機の発明は地理的制約を大きく縮小した。これにより、異文化間の接触頻度は加速度的に高まり、人類社会全体としての「混合」が進展した。この歴史的過程と人口増加の軌跡は、同じ原理が作用して生み出す力の方向性を示しているように見える。
このように考えると、「異質なものの接触が人口の増加を促す」という原理仮説が浮かび上がる。そしてこの仮説を補強するためには、逆の事例、すなわち人口が減少し消滅に至ったケースを検討することが有効である。
その代表例として挙げられるのが、ネアンデルタール人の消滅である。

異質なもの同士が接触するとき、そこにはエネルギーの放出が生じる。これは、前章で述べた本コラムの根底にある原理だ。この原理は、物理現象にとどまらない。人類の進化や社会の変化、特に人口減少をよく説明する、と思っている。
ネアンデルタール人の消滅は、単なる人口減少ではない。「エネルギー放出構造の弱体化」として理解できる。
ネアンデルタール人は小規模で分散した集団を形成し、集団内の均質性が高かったと推測されている。この構造では、異質性に起因する刺激が乏しく、接触によって生じるエネルギー放出も限定的だったと推定する。
一方、ホモ・サピエンスは広域にわたるネットワークを形成し、異なる集団間での接触を生み出していた。この接触は、文化や技術の差異を増幅し鮮明にさせ、その差異がさらに新たなエネルギー放出を誘発するという循環を生み出した。この結果として、環境変化への適応力、技術革新、集団の拡大が生まれた。
ネアンデルタール人は、このようなエネルギー放出の循環を十分に持たないまま、急激な気候変動という外部圧力に直面した。内部のエネルギーでは変化に対応できず、人口を維持する力を失っていった。すなわち、彼らの消滅は人口減少そのものではなく、「人口を回復・維持するだけのエネルギーを放出できなくなったこと」に本質的な真実がある。ホモ・サピエンスとの接触の一部は競争ではなく融合として現れた。これは異質なもの同士の接触によるエネルギーの形の変化であり、ネアンデルタール人は別の形で遺伝子を保存した。
ネアンデルタール人の消滅は、「差異の縮小」「接触機会の不足」「エネルギー放出の低下」という連鎖によって引き起こされた現象である。この構造は、人類史の一事例にとどまらない。
今の日本社会における停滞現象を説明する。人口減少という日本の社会現象(表現)はネアンデルタール人に近づこうとしているという警鐘をならしている。外国人の排斥は狭い村意識、小集団、均質社会という危険な構造へ近づける。この危険な傾向を明瞭にするために極端な例としてネアンデルタール人の消滅を参考にした。

次回は、日本の社会現象の伸びない消費(増える金融貯蓄)を取り上げる。これも、GDPの停滞と人口減少に深く関わることは、以上述べてきた中に少し見えてきているだろう。

[ Author : Y. F. ]

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